日本人のガイジン教授が語る大学事情@北米 基礎概念
この逆は、「デマかもしれないのに他人のいうことを無批判的に受け入れる態度」。まあ、「どう思う?」と聞かれて「わかんない」というのも、批判的思考力が足りない証拠。「話の中身が無いけど、ただしゃべり続ける輩」も似たようなもの。要するに自分の力で考え抜くことができない人間は批判的思考力が無い人間となる。
この批判的思考力の育成・訓練が、北米での文系教育の大前提となっている。情報を調査し、自分で考え、意見を発表し、反論に備え、相手を説得するという能力をパッケージしたものが、ここでいう批判的思考力の具体的内容。分野によって「情報」や「意見」� ��内容が異なるが、このパッケージは変わらない。これがいわゆるリベラル・アーツ教育の中身である。
何それは質の高い教育を持っているかかりますか
「論文執筆が批判的思考力の訓練には絶好の方法である」という事実、ご存知であろうか。
説明しよう。
まずは、図書館で文献や資料を体系的に調査し、それらを批判的に読みこなすことから始まる。それに基づいて、自分の立場を論理的に組み立て、証拠づける。その場合、考えられる反論に照らしあわせて、自分の立場に一定の留保をつけながらも、「これ以上は譲れない」というところまで研ぎ澄ます。そして、これらを論文という形で文章をつかって体系的・論理的に解説し、さらには口頭発表で聴衆に説明する(質疑応答も含む)。
なぜ大学の学位を取得する
「ワタシの気持ち、わかってください」(単なる感想か感情の発露)とか「事実がすべてを語る」(事実の羅列)、はたまた「えらい人が言ったから、いいんじゃないですか」(権威に頼る)とか「どっちもどっちですよね」(判断力なし)というようなことでは無いのである。基本的な事実や情報をふまえた上で、キチンと自分の考えを体系的かつ論理的に、それも反論を認識しながらも展開し、それを発表するチカラを蓄えていくには論文作成が効果的。
北米の文系大学教育を受けてキチンと議論できる人は、こういった訓練を受けている人。もちろん、人それぞれによって批判的思考力のレベルは異なる。しかし、エリート・レベルになるとその溢れる批 判的思考力を駆使して組織を運営し、政策をくりだし、社会をリードしていくのである。
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実は、北米の小学生からこの訓練、やっている−−もちろん雛形であるが。アメリカとイギリスで力量あふれる人材がトップレベルで次々と、それも世代を超えて脈脈と輩出されてくるのも、こういった訓練を与える制度が小学校から大学レベルまで整っているからと思われる。実際、アイビーリーグやオックスブリッジから出てくる人材をみてそう思う。
最近のニュースによると、そういった人たちを育成するべく、博士課程プログラムを日本にも作るとか。たいへん結構なことと思う。アラカルト方式で様々な学問や情報になじむだけというのではなくて、批判的思考力−−もちろん、この場合、社会や人間、さらには歴史に� ��する洞察力を含む−−を訓練する環境をぜひ整備していただきたいと思うのは私だけではなかろう。
日本の様々な業界で人材の劣化が指摘されているが、根本的対策はやはり教育制度しかなく、批判的思考力の体系的な訓練はその鍵となろう。幸い、日本の様々なところで改革運動がすでに起こっている(例えば経産省の「社会人基礎力」計画など−−2010年3月6日の当ブログ、ごらんあれ)。この手の改革の成果は2世代、3世代経ないと出てこないが、大いに期待したいところである。
テーマ : 自己啓発・能力開発
ジャンル : 学校・教育
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