『ニューヨークからの手紙 2008』
【はじめに】
皆さん、本当にご無沙汰しております。
暫く前に、管理人の二井矢さんから『進めJPO』の続編を書いてほしいというご依頼があり、JPO/AE後の経緯についてこのような形でまとめさせていただくことになりました。
僕がUNESCOのアソシエート・エキスパートとしてナミビアに赴任したのが1998年の9月なので、あれからもう10年近く経ったことになります。タイトルが示す通り、僕は今、ニューヨークでこの文章を認めています。
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【ウィントフック―パリ】
2年間のナミビア勤務のあと、アソシエートとしての3年目の任期延長が認められた僕は、日本政府代表部の協力のもと、パリ本部に新たなポストを得ました。Communication and Information SectorのDivision of Communication Developmentに配属され、赴任してすぐ「アジア・太平洋デスク担当官」というポジションを与えられました。同地域で広く実施されているプロジェクトを本部からサポートし、管理するというのが主な仕事でした。3年目の任期が後半に差しかかった頃、Divisionのディレクターが僕のための正規ポストを次年度予算に組んでくれ、手続きに従ってポストの公募も行われました。また、アソシエートとしての任期終了と正規ポストに就くまでの「つなぎ」として、彼は僕にRegular BudgetからAssistant Program Specialistのポストまで作ってくれていました。2001年の10月のことです。
しかしながら、僕がパリに残ってそのポストに就くことはありませんでした。同じ年の夏に有給休暇を利用して受験していた群馬大学医学部から学士編入学試験合格の通知が届いたからです。
ジャーナルを引用する方法
【帰国、そして】
2001年の12月31日をもってUNESCOを退職した僕は、翌年の初めに帰国し、「グローバルに活動する感染症内科専門医」になることを目標に、4月から医学生になりました。4年間の大学在学中にUSMLE(米国医師国家試験)に合格し、日本での1年間のインターン生活を経て、昨年7月からNYのアルバート・アインシュタイン医科大学付属、ベス・イズラエル・メディカル・センターにて内科研修をしています。3年間のプログラム修了後に米国内科専門医の資格を取得し、さらに2年のフェローシップを経て感染症内科専門医の資格をとる予定です。 その後は、低開発国でのエイズを中心とした感染症治療と予防に貢献すべく、医師および開発コミュニケーションの専門家としてフィールドに戻るつもりです。長期的なキャリア・プランとしては、今後10年は臨床を中心に経験を積み、その後は徐々に活動を公衆衛生の分野にシフトしていき、最終的には再びWHOなどの国際機関で勤務できればと考えています。
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ナミビアで勤務した2年間に、僕がとりわけ興味を持って取り組んだのがHIV/AIDS予防に関するプロジェクトだったことは、『ウィントフックからの手紙』に綴った通りです。当時から医療に対する関心は強かったのですが、パリ本部に赴任してから本格的に学んでみたいという気持ちが強くなり、医学部受験を決意しました。増加傾向とはいえ日本ではHIV/AIDSの症例がまだ少ないため、症例も多く感染症内科専門医育成のための優れたプログラムがある米国での研修を視野に入れた上で帰国を決意しました。多く方々の理解と協力を得ることができ、こうしてNYまで辿り着いたといったところです。
今の自分があるのは、アソシエート・エキスパートとして国際機関で勤務する機会に恵まれたからに他なりません。そもそもナミビアに赴任することがなければ、僕が医学を志すこともなかったでしょうし、UNESCOでの勤務経験が評価されたからこそ医学部への進学や米国での研修の機会が与えられたのだと考えています。25歳という比較的若い年齢で国際機関の一員となり、フィールドと本部の両方で勤務することができたのは本当に幸運でした。だからこそ、25歳までに自分で築き上げてきた専門性だけを頼りに、その後の数十年を同じ環境のもとで生きていくのは惜しいと思いましたし、もう一つ、新たな分野で専門性を身につけ、より多くの人々に貢献できるような人材になれるのではな いかと考えたのです。
【むすびにかえて】
医療システムも文化も異なる米国で、多くの問題を抱えた患者さんたちの治療に携わる今、思い通りに物事が運ばないことに戸惑い、辛い思いをすることも度々です。「UNESCOに残っていたらどうなっていただろう」と、懐古的な気持ちになることもあります。しかしながら、世界中から最先端の医療を学ぶために多くの人材が集まるNYで医師として働き、学ぶ機会を与えられていることは、やはり何物にも代えがたいことだと思います。目指しているものはまだ遠くにあり、自分の将来に対する期待と同じくらい不安もありますが、一歩一歩、焦らず前に進んで行きたいと思います。
Yuki Aoyagi, MD, MA.
Resident, Internal Medicine
Beth Israel Medical Center
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